式内 弥久賀神社
概 要
社 号 式内 弥久賀神社
読み:古 ミクカ、現在 みくが
式内社 出雲国神門郡 彌久賀神社
江戸時代は「若一王子権現」
所在地 島根県出雲市湖陵町大池1302-1
旧地名 出雲国神門郡
御祭神
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 合祀 宇賀御魂命(うかのみたまのみこと)
例祭日 10月17日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
出雲国:大2座・小185座
神門郡(カムト):27座(並小)
『出雲国風土記』「美久我社」
近代社格制度 旧郷社
創建 天平5年(733)『出雲国風土記』に「美久我社」と記載があるのでそれ以前
本殿様式 大社造変態 檜皮葺
境内摂末社(祭神)
由鹿神社・疫病神社・恵比須神社・稲荷神社
惣荒神社・蛇池神社・水神の社
一口メモ
薗の長浜に沿って式内社が湖陵町差海の佐志武神社、湖陵町大池の弥久賀神社、多伎町久村の國村神社と並んでいる。
歴史・由緒等
当社の大神さまは、神代の昔天地いまだ漂う時初めて宇宙を治められた神代最高の位の大神さまで天之御中主大神さまで天照大神さまの御祖父さまであります。何時頃からこの地に奉られたか定かでありませんが、文字が我が国に伝来し、聖武天皇天平5年(733年)出雲風土記、延喜式、出雲国巡拝記等の古文書に記されてあり古社なること明らかです。又社名は、出雲風土記(美久我の社)延喜式(弥久賀神社)慶長時代から文政時代(若一王子権現の社)と言い、嘉祥4年に正六位に叙せられ、明治4年郷社となり遠い昔の私達の先祖から今に至るまで多くの人々の心の支えとして敬仰された神社であります。
苗鹿神社 御祭神 天太玉命
本社は元大池村字苗鹿原に神社として奉られていたが明治四十年に末社として境内地に移転し、大正10年に本殿を造営されました。何時頃から苗鹿原に奉られたか定かでありませんが歴史的に明らかなことは享保元年から文政8年頃まで苗鹿大明神と云い以後社名を苗鹿神社となり、明治4年に村社となりました。
恵比須神社 御祭神 大己貴命 事代主命
本社は元大池村字明神に無格社恵比須神社として奉られ、明治40年に末社として境内地に移転し奉られし社であります。「社頭掲示板」
境内・社叢
鳥居 社号標
狛犬
二の鳥居・拝殿 手水舎
社頭掲示板
拝殿扁額
本殿
本殿左摂社 苗鹿神社
本殿右境内社 疫病神社 稲荷神社
恵比須神社
境内に古い狛犬と神橋が保管されている。想像だが損傷が激しいわけではないし、社頭の道路拡張があり、撤去せざるを得なかったのではないだろうか。
鳥居右手に祠
地名・地誌
美久我林(みくがのもり)
当社の地名区域は、神門水海(かんどのみずうみ)のほとりにあります。西は海岸に面し、薗の長浜の南から石見の国境中島崎までの、いわゆる国引神話の綱に当たる「美久我林」という砂丘地です。その「美久我林」を土地の神「美久我神」とし守護していました。
美久我は「海洋に沿うた陸地」という意味があります。「出雲観光ガイド」
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